永渡橋(ヨンドギョ)は、崇仁洞(スインドン)234番地と上往十里(サンワンシムリ)748番地の間にある今の東廟(ドンミョ、崇仁洞22番地)の南側、清渓川の下流にあった橋。伝統の大廳様式を取り入れたアーチ橋である。
朝鮮王朝第6代王の端宗(タンジョン)が王位を奪われて寧越(ヨンウォル)に流刑されていくとき、端宗の妃である定順(ジョンスン)王后がここまで来て永遠の別れを惜しんだことから「永離別橋(ヨンイビョルギョ)と呼ばれたと伝えられる伝説から由来し、永渡橋と呼ばれるようになった。
東大門(トンデムン)の近くに五間水門(オガンスムン)があり、東大門から往十里方面へ行く場合は、必ず永渡橋を渡らなければなかったので、この橋の交通量は非常に多かった。そのため朝鮮王朝第9代王の成宗(ソンジョン)は僧侶を動員してサルゴジ橋と共に橋を石橋に改修し、王自ら「永渡橋」と書いた。
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