八石潭の由来

 


東海石の特徴
カマッバウィの物語
・東海石の特徴

  東海石は青い翡翠色を帯び、別名青玉石とも言われる。一説では青玉山の地名がここから由来したそうである。今は自然景観の毀損防止のため、外部への搬出が不可能になっている。以前一部採石した人たちが、寿石の形で所蔵しているそうだ。

・カマッバウィの物語

  李朝の中頃、墨湖洞墨湖港の海岸に人柄が温厚で徳望のある義理堅い戸長(今の統里長)が住んでいた。彼は春窮期には村人たちに穀物を分け与え、乞食にも人情深く接し、尊敬される戸長だった。その当時は時々倭寇が侵入してきて良民を苦しめていた。ある日のこと、2隻の船を引き連れた大部隊の日本軍がこの村に侵入して財物を奪い、婦女子を弄び、住民を虐殺する事件が発生した。その時も戸長は日本軍に怒鳴りながら戦ったが力不足だった。日本軍が略奪した財物と戸長を船に載せて出発しようとした時、村の全住民がシャベル・つるはし・鍬・棒などを持ってその善良な戸長は渡せないと戦ったが、無惨に死んでしまった。怒りに震えていた戸長が敵の将軍に大声で「例えこの体が死のうと、二度とおまえたちをここに侵入させぬ!!」と怒鳴ると、晴れていた天気が突然暗くなり、雷が落ちて波が押寄せ、戸長が乗った船が引っくり返って皆死んでしまった。もう一隻も逃げていく途中、巨大なタコが現れて船を殴りつけ、船が粉々になり皆死んでしまった。次の瞬間、空がきれいに晴れ、波も穏やかになった。するとカラスの群が集まってきて倭寇の死体を突付いて食べた。それから倭寇の侵入が途絶えたという。その時に表われた大きなタコは戸長が死んで変身した魂だと伝えられ、海岸にあるカマッバウィ(カラス岩)の下に大きな洞窟が二つあるのだが、ここにその戸長の霊魂が宿っていると伝えられている。罪を犯した人がカマッバウィの下を通るとタコに捕まって死ぬと伝えられ、ここの住民たちはこの地域で毎年豊漁祭を行ない、今も守護神として奉っている。

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