八石潭の由来
加平石の特徴
朝宗岩の物語
・加平石の特徴
加平石は京畿道加平郡下面一帯で20年あまりの間生産されてきた石である。白色系統の世界的な石質を誇る花崗岩であり、建築材や墓石などで脚光を浴びている。韓国銀行本店、ソウルプレスセンター、憲法裁判所、独立記念館、教保ビルなど、国内はもちろん、日本・台湾・シンガポールなどの外国にも輸出され、高層石材建物に施行されている。
・朝宗岩の物語
加平郡下面に所在している朝宗岩-朝宗は、丙子胡乱の恥辱を洗い流し、自主独立の意志を固めるために造成された祭壇である。朝宗とは数個の川が海に流れ込んで集まるという意味であり、このほかにも諸侯が天子に謁見することも意味し、崇明排清の思想を鼓吹する場所として造成された岩だとも言われている。日本統治下でも隠密に儒林たちが集まり、国権を回復して独立を勝ち取るために祭享(国家が行なう祭祀)を標榜して集まった所でもある。朝宗岩は1684年に宋時烈(ソン・シヨル)が、当時の加平郡守だった李齊杜(イ・ジェドゥ)公に明の国の最後の皇帝である毅宗(1627~1644)の御筆(王が書いた文)「思無邪-邪悪な思いがない」を直接模倣し、また孝宗(1649~1659)の「日暮途遠 至痛在心-心は実に深い恨み(三田渡の恥辱)に縛られているのに日が沈んで行く道(北伐計画)は遠く思われる。何とも悲しいことではないか」という文を書いて送り、これを厳かな場所を選んで刻むように頼んだ。それで李齊杜、許格、白海明などが力を合わせて上の文句と御筆である「萬折必束 再造藩邦-一万回敗れても東に流れるように必ず明の国の軍隊が日本軍を倒し、わが国を守って再び建ててくれた」などの岩刻文を刻んで祭祀を奉ったところから始まったと伝えられる。加平郡では今も毎年3月19日に南北統一と自主国権を決意する意味の祭享行事が開催されている。