世宗以降、川の整備に最も力を注いだのが朝鮮第21代王の英祖(ヨンジョ)である。英祖は自身の行った下水整備を古代中国国家「夏」の禹王の治水や随の煬帝の運河整備と比較し、自身の最も大きな治績のうちの一つと掲げたほどであった。
太宗、世宗の時代に造成された川はその後、英祖が即位するまでの約50年余りの間、特に変化は見られなかった。雨が降って水が溢れ、周辺の民家が浸水し、橋が流失するなどの事故が起きたが、よくあることだった。これといって注目すべき変化が見られなかったのは、何よりも太宗、世宗の時代に整備した川の下水処理の容量が、当時の都の人口十万人の流す下水を処理するのに特別な問題がなかったからでもあった。
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