清渓川は都の中央を横切って流れる河川であった。都心の河川として清渓川が自然に持ち合わせた機能は下水道の機能である。実は首都ソウルが朝鮮王朝 500年の間韓国の歴史文化の中心地として命脈を維持できたのは、清渓川が下水道としての役割も果たしたからである。また清渓川は人々の為の公共の休息所でもあった。祝日ごとに踏橋、たこ揚げ、燃燈行事、石投げ合戦(二組に分かれて石を投げる遊び)などの民俗遊びが繰り広げられる場所であり、橋を中心とした面白い話が作られるユーモラスな空間であった。清渓川はソウルの人々の暮らしの一部であった。主婦にとって役に立つ洗濯場であり、子供たちには良い遊び場であり、貧しい人々には生活の場であった。生計の為ソウルに上京してきた人々が川辺に沿って長い間仮小屋を建てて暮らしていた。このように清渓川は単なる川ではなかった。600年のソウルの歴史、ソウルの人々の生活が流れる、歴史と文化の空間だったのである。